時は明治時代後期、台湾からバナナの大量輸入が始まりました。それまで高価な果物だったバナナが庶民の手に届くようになったのです。バナナは青いうちに運ばれ、室(ムロ)と呼ばれる部屋で熟成させてから各地に出荷されます。しかし中には船内で熟成が進みすぎたり、傷ものが発生します。痛む前に門司港につながる桟橋通で売りさばいたのがバナナの叩き売りの始まりです。
次第に、門司港に「バナナの叩き売り」という売り方のスタイルが確立されます。固い棒で台を叩いてリズムをとりながら、独特の口上を言ってバナナを売るのです。流れるような唄と共に述べられる口上は、多種に亘り、地域、売る人によりオリジナリティがあります。実際にバナナを買わなくても聞いて楽しむということでギャラリーを集めるなど、大道芸として、祭りの風物詩の一つとして親しまれてきました。しかしながら近年の物流の発達でバナナは大衆消費財となり、バナナの叩き売りは廃れてしまいます。発祥の地、門司では「バナナ叩き売り保存会」が設立され、叩き売りの継承に努めています。
バナナの叩き売りが全国的に有名になったのは映画『男はつらいよ』からです。寅さんこと渥美清は佐賀の名人からバナナのたたき売りを習っています。
バナナの叩き売りは、かつて八百屋、露天商、的屋が行う、独特の口上を述べながら客を引き寄せてバナナを露天で売る手法で、いわゆる啖呵売のひとつとして有名です。大正時代初期に福岡県北九州市門司区の門司港周辺で行われたのが元祖といわれています。バナナを神戸に運ぶためにその過程で悪くなったバナナをいち早く捌くため、また、バナナだけでなくて物資を運ぶためには当時鉄道が主で、九州の玄関口が門司港であったため、門司港がバナナの叩き売りの地として有名になりました。
( 引用 ©︎KitakyuMovieChannel)